多くの人が「ゴッホのヒマワリ」と聞いて思い浮かべるのは、明るい黄色のヒマワリが花瓶に生けられた風景の絵でしょう。これらはフィンセント・ファン・ゴッホが描いた「花瓶に入れられた向日葵」というテーマの油彩画で、全部で7点が制作されています。その中で1点は火災により失われましたが、残りの6点は現在も私たちの目に触れることができます。
さらに、パリで描かれた作品を含むと、向日葵をテーマにした作品は11~12点にも及ぶと言われています。これには花瓶に生けられていない向日葵の絵も含まれます。この記事では、特に「花瓶に入れられた向日葵」の一連の作品に焦点を当ててご紹介します。
ゴッホひまわりの本数と作品数
初期の作品:「3本のひまわり」
フィンセント・ファン・ゴッホが最初に描いたとされる「3本のひまわり」は、現在アメリカの個人コレクションに所蔵されています。この作品はゴッホのひまわりシリーズの出発点とも言える貴重な一枚です。
壮大な取引の背後にある「5本のひまわり」
1920年、日本の実業家山本顧彌太は、文豪武者小路実篤の依頼を受けてスイスでゴッホの「5本のひまわり」を購入しました。当時の取引価格は7万フラン(現代の価値で約2億円相当)とされ、これは当時としては驚異的な金額でした。この作品は山本家に長く保管されていましたが、残念ながら1945年の阪神大空襲により、他の多くの貴重な品々と共に焼失してしまいました。
第3作:12本のヒマワリ
収蔵先:ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク
フィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた第3番目の作品は、12本のヒマワリが描かれています。この作品はドイツのミュンヘンにあるノイエ・ピナコテークで公開されています。
第4作:15本のヒマワリ
収蔵先:ロンドンのナショナル・ギャラリー
ゴッホのヒマワリシリーズの中で特に有名なのがこの15本のヒマワリを描いた作品です。2022年には、環境保護活動家によって絵画へトマトスープが投げつけられる事件が発生しましたが、ガラスケースのおかげで絵自体は無事でした。
第5作:15本のヒマワリ
収蔵先:東京のSOMPO美術館
この作品は1987年に損保ジャパン日本興亜によって53億円で落札され、現在は東京のSOMPO美術館に展示されています。このヒマワリの絵は、ゴッホが耳を切る事件直前に描かれたとされています。
第6作:15本のヒマワリ
収蔵先:アムステルダムのファン・ゴッホ美術館
15本のヒマワリが描かれた6枚目の作品は、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に保管されています。
第7作:12本のヒマワリ
収蔵先:フィラデルフィアのフィラデルフィア美術館
7枚目に描かれた12本のヒマワリは、フィラデルフィア美術館に展示されています。この作品は3番目のヒマワリを基に模写して描かれたと言われています。
ゴッホの生涯
フィンセント・ファン・ゴッホ:情熱と苦悩の人生
初期の人生とキャリアのスタート
1853年3月30日、オランダのゾウンダートで牧師の家庭に生まれたフィンセント・ファン・ゴッホは、若くして絵画販売の職に就きました。彼はこの仕事で才能を発揮し、優れた営業成績を上げて評価されました。
苦悩の始まりと芸術への転身
1873年、20歳の時にロンドン支店へ異動されたゴッホは、私生活での失恋を経験し、仕事の成績も低下し始めました。この私生活の失敗が後の精神的な苦悩へと繋がります。1880年、27歳で画家としての道を歩むことを決心し、芸術への情熱をさらに深めていきました。
芸術としての確立
1884年から1885年にかけて、ゴッホは農民やその生活をテーマにした作品群を描きました。彼の代表作の一つである「ジャガイモを食べる人たち」もこの時期に制作されました。
南フランスでの生活と悲劇
1888年、ゴッホは南フランスのアルルに移り住み、ここでポール・ゴーギャンと共同生活を送ります。しかし、ゴーギャンとの関係はすぐに悪化し、ゴッホは激しい口論の末、自らの左耳を切り落とすという衝動的な行動に出ます。この事件後、彼はアルルの病院で治療を受けました。
生涯の終焉
1890年、37歳の若さでゴッホは自らの命を絶ちました。彼が受けた二発の銃弾が致命傷となり、彼の短いが激しい生涯が幕を閉じました。ゴッホは生前にはほとんど評価されなかったものの、死後、彼の作品は世界中で高く評価されるようになりました。
ゴッホの唯一の売れた絵画「赤い葡萄畑」
生前に唯一売れた作品
フィンセント・ファン・ゴッホは現在では世界的に有名な画家ですが、彼の生涯で市場に出て売れた絵は「赤い葡萄畑」ただ一枚だけでした。この作品は1888年に描かれ、彼の友人の姉によって400フラン(現在の価値で約4万円)で購入されました。
耳を切り落とした事件
ゴッホの精神的危機
1888年、フランスのアルルで、ゴッホは深刻な精神的危機に陥りました。彼はこのとき、自らの耳の一部を切り取るという衝動的な行動に出ます。この断耳事件は、彼の精神的な不安定さを象徴するエピソードとして広く知られており、彼が耳の一部を切り取った後に、地元の売春宿にいた女性にそれを渡したとされています。この行為の背後にある動機や真実にはさまざまな説がありますが、それが彼の精神状態の不安定さを示していることは確かです。