【徹底解説】フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」-ユートピアの象徴

 

目次

ゴッホの「ひまわり」:ユートピアの象徴

概要

  • 作者:フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 制作年:1889年
  • メディウム:油彩、キャンバス
  • サイズ:100.5 cm × 76.5 cm
  • コレクション:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

楽観的なゴッホ作品

フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」は、彼の作品の中でも特に愛され、多くの人に認知されています。ゴッホの他の作品と比べると、非常に楽観的な雰囲気が漂っています。

二つの「ひまわり」シリーズ

「ひまわり」は、1886年から1887年にかけてパリで制作されたシリーズと、1888年にアルルで制作されたシリーズの2つに大別されます。

初期シリーズ(1886-1887年)

初期の「ひまわり」は、弟テオとパリで過ごしていた時期に制作されました。このシリーズでは、一輪のひまわりが寂しげに土の上に置かれており、ゴッホの孤独感が表現されています。

後期シリーズ(1888年)

後期の「ひまわり」は、アルルでの滞在中に制作されました。ここでは、花瓶に生けられたひまわりの花束が描かれ、明るく暖かな色調が特徴です。プロヴァンスの南国の雰囲気が反映され、前シリーズとは対照的に陽気で生命力に満ちた作品となっています。

象徴と情緒

ゴッホにとって、ひまわりはユートピアの象徴とされており、彼の花の絵にはその理想郷の感覚が反映されていると言われています。ゴッホは、自分の感情や主観を静物画に投影することに大きな関心を持っていました。

ゴーギャンとの関係

「ひまわり」シリーズは、ゴッホの友人であるポール・ゴーギャンとの関わりも深いです。この時期、ゴッホはゴーギャンと共に絵画技法や手法を共有し、自らの芸術的な追求をさらに深めていきました。

このように、「ひまわり」はゴッホの楽観的な一面を示しつつ、彼の芸術的な追求と友情の象徴でもある重要な作品です。

 

初期の悲観的なひまわりシリーズ

パリでの制作(1886-1887年)

初期の「ひまわり」シリーズは、1886年から1887年にかけてゴッホがパリで制作したもので、4点存在します。このうちの2点は友人のゴーギャンが購入し、彼のアパートのベッドルームに飾っていました。

この時期、ゴッホは弟テオと同居していたため、手紙はほとんど残されておらず、詳細な活動は不明です。しかし、「ひまわり」を描き始めたことは確かです。なお、ゴーギャンは後に旅費を工面するため、これらの作品を売却しています。

後期の楽観的なひまわりシリーズ・アルルでの制作(1888年)

後期の「ひまわり」シリーズは、1888年にゴッホがアルル滞在中に制作したものです。ゴッホは1888年2月にアルルに移住し、同年10月にはゴーギャンもアルルにやってきました。ゴッホは、二人が共同で使用する予定の黄色い家のインテリアとして「ひまわり」を描きました。

このシリーズは、ゴーギャンを歓迎するゴッホの気持ちがあふれており、非常に明るい作品です。東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館が所蔵している「ひまわり」もこのシリーズの一つです。しかし、ゴーギャンとの共同生活はわずか2ヶ月で破綻しました。

損保ジャパンにある楽観的な「ひまわり」

日本での展示

1987年3月30日、ロンドンで行われたオークションにて、ゴッホの《ひまわり》(F457)が安田火災海上(現・損害保険ジャパン日本興亜)によって58億円で落札されました。その後、この作品は東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で展示されています。

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館は、1976年に開館し、損保ジャパン日本興亜本社ビルの42階に位置しています。この美術館は、東郷青児をはじめとする現代日本人洋画家の作品を中心に収集しており、1987年10月にはゴッホの《ひまわり》も加わりました。

この《ひまわり》はロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する作品をもとに描かれたもので、構図は似ていますが、色合いやタッチなどの細部は異なります。これは、ゴッホが色彩や質感の研究に取り組んでいたことを示しています。

常設展示

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館では、ゴッホの《ひまわり》を常設展示しており、いつでも見ることができます。他にも、ゴーギャンやセザンヌの作品も展示されています。

 

ナチス略奪美術品の返還問題

日本の保険会社であるSOMPOホールディングスは、フィンセント・ヴァン・ゴッホの有名な「ひまわり」シリーズの絵を巡り、ナチスの迫害の犠牲者である前所有者の相続人から訴訟を起こされました。

訴訟の背景

2022年12月13日、イリノイ州のメンデルスゾーン=バルトルディ家の子孫が、1987年に3,990万ドル(手数料を含む)で絵を購入した安田火災の後継会社であるSOMPOホールディングスに対して、シカゴの連邦裁判所に訴訟を提起しました。

原告の主張

原告は、SOMPOが絵画の来歴に対して「無謀に無関心」であったとして、絵画の返還と約990億円の損害賠償を求めています。また、SOMPOが絵画の所有から得た利益に照らし、7億5000万ドルの懲罰的損害賠償も請求しています。

訴訟の経緯

この訴訟は、ユダヤ人銀行家でありベルリンのアートコレクターであったポール・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディの子孫3人によって提出されました。原告側は、「2008年までひまわりの所在が不明であった」と述べ、2016年に制定されたホロコースト収用美術品回収法(HEAR法)を引用して請求権を主張しています。この法律は、ナチスの政策により失われた美術品の回収のための時効を全国的に6年とし、原告が問題の美術品の身元や所在地を知った時点から始まるとされています。

SOMPOホールディングスの対応

SOMPOの担当者は、日本経済新聞の取材に対し「訴状のコピーは受け取っていない」とし、クリスティーズのオークションでの購入が「公知の事実である」と指摘しています。また、SOMPOは不正の申し立てを断固として拒否し、「ひまわり」の所有権を精力的に守るとしています。

 

 

参考文献

Sunflowers (Van Gogh series) – Wikipedia

https://asia.nikkei.com/Life-Arts/Arts/Japan-s-Sompo-faces-750m-lawsuit-over-Van-Gogh-s-Sunflowers

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