西洋近代絵画「印象派」の基礎知識・知っておきたい西洋絵画の基本

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西洋近代絵画「印象派」の概要

印象派の概要

日本でも絶大な人気を誇る美術様式である「印象派」は、1874年から1900年頃までの短期間、主にフランスで活動しました。印象派絵画は、写実主義の発展として、日本の浮世絵の影響を受けた平面的な構図や、普及し始めた写真の影響により、従来の遠近法や明暗法にとらわれない革新的な画風が特徴です。自然の光の変化や形の揺らぎを瞬間的に捉え、見たものをありのままに作者の印象で表現し、日常生活や風景、肖像を描きました。

印象派の技法

印象派の特徴的な技法として、絵具を混ぜずにカンヴァスに直接タッチ(筆触)で置いていく筆触分割があります。この技法が進化したものが点描であり、どちらも少し離れて見ることで、鑑賞者の目や脳内で色が混じり合う視覚混合を利用して鮮やかな色彩効果を生み出しました。また、屋外で気軽に描けるチューブ入りの絵具の発明も大きな要因となり、屋外での写生から仕上げまでが可能となりました。

第1回印象派展とその反響

印象派は、1874年にパリで開催された独自の展覧会「第1回印象派展」から始まりました。この展覧会は当時の権威ある画壇から酷評され、特にモネの『印象・日の出』は未完成とみなされ、「描きかけの壁紙よりひどい」と嘲笑されました。しかし、印象派の画家たちはこの蔑称を気に入り、以降の展覧会から自ら「印象派」と名乗るようになりました。

西洋絵画史の近代年表

西洋絵画史における印象派の位置づけを以下の年表で示します。

  • 1800年頃〜:ロマン主義
  • ↓:新古典主義
  • ↓:写実主義、ラファエル前派
  • ↓:象徴主義
  • ↓:印象主義
  • ↓:新印象主義
  • ↓:ポスト印象主義
  • 1900年頃〜:キュビスム
  • ↓:フォーヴィスム
  • ↓:抽象主義
  • ↓:表現主義
  • ↓:ダダイスム
  • ↓:シュルレアリスム
  • ↓:コンセプチュアル・アート、抽象表現主義

 

エドゥアール・マネ

エドゥアール・マネの生涯と役割

エドゥアール・マネ(1832年〜1883年)は、フランスの画家であり、写実主義と印象派に関わりの深い人物です。印象派の中心人物として「印象派の父」と称されることもありますが、彼自身は印象派に正式に属していませんでした。

裕福なブルジョワ家庭に生まれたマネは、権威あるサロンでの評価を求め続け、サロンに作品を出品し続けました。しかし、彼が描く現代都市のしゃれた生活をテーマとした作品は、当時のサロンでは評価されませんでした。それでも、マネの主題や色彩表現は若手画家たちに受け入れられ、マネのアトリエ近くのカフェには、モネ、ピサロ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌなどの印象派の画家たちが集まりました。こうして、マネは印象派の父と呼ばれる存在となりましたが、一度も印象派展には出品しませんでした。

マネの代表作

写実主義:『草上の昼食』 1862年から1863年にかけて描かれたこの作品(208×264.5cm、オルセー美術館所蔵)は、マネの代表作であり、西洋絵画の転換点のひとつとされています。神話や聖書ではなく現実の女性を裸で描くことは当時、不道徳とされ、多くの批判を受けました。しかし、この作品は多くの芸術家に影響を与え、モネ、セザンヌ、ピカソなどがオマージュを描いています。

印象派:『フォリー・ベルジェールのバー』 1882年に描かれたこの作品(92×130cm、コートルード・ギャラリー所蔵)は、マネの代表作にして遺作です。パリにあった音楽堂「フォリー・ベルジェール」のバーカウンターの女性を描いたもので、マネが病に侵されながら自らの死を悟りながら描き上げました。この作品はサロンでも大絶賛されました。後ろの大きな鏡に映ったカウンターと女性を描く複雑な構図で、右側に描かれた後ろ姿の女性は、鏡に映った正面の女性です。

写実主義・印象派:『笛を吹く少年』 1866年に描かれたこの作品(161×97cm、オルセー美術館所蔵)は、美術愛好家でなくとも多くの人に知られるマネの代表作です。平面的な描写と浮世絵の影響が見られるこの絵は、マネのスタイルの一例を示しています。

 

クロード・モネ

クロード・モネの生涯と影響

クロード・モネ(1840年〜1926年)は、フランスの印象派の創始者であり、最も代表的な画家の一人です。特に「睡蓮」の連作で広く知られています。モネは常に変化する「光」を色彩で表現することに情熱を注ぎました。

印象派の代表作

『印象・日の出』 1872年に描かれたこの作品(48×63cm、マルモッタン美術館所蔵)は、印象派運動の始まりを象徴する歴史的に重要な作品です。

『くぼ地のひなげし畑、ジヴェルニー近郊』 1885年に制作されたこの作品(81.3×65.1cm、ボストン美術館所蔵)は、モネがパリからセーヌ川を下った小さな町ジヴェルニーに引っ越してすぐに描いたものです。輪郭を描かず、筆の向きと勢い、絵具の並置によって表現された、印象派らしい作品です。

『ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池』 1899年に描かれたこの作品(89.2×93.3cm、フィラデルフィア美術館所蔵)は、モネの代名詞ともいえる「睡蓮」シリーズの一つです。モネはジヴェルニーに庭を作り、60歳頃から約25年間、睡蓮の池を描き続けました。この作品は、その最初期の一枚です。

『睡蓮』 1916年に描かれたこの作品(200.5×201cm、国立西洋美術館所蔵)は、モネの代表作の一つで、印象派の本質を捉えた作品です。

『ルーアン大聖堂、正面』 1894年に描かれたこの作品(100.6×66cm、ボストン美術館所蔵)は、モネがノルマンディー地方のルーアンで30点ほど描いた大聖堂シリーズの一つです。朝、昼、夕と変化する光を捉えた作品です。

『積みわら、夏の終わり』 1891年に描かれたこの作品(60×100cm、オルセー美術館所蔵)は、モネの積みわらシリーズの一部です。モネは同じ主題を異なる時間や天候、季節で描き、光の変化を追求しました。彼は「光の画家」とも称される存在です。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール

ルノワールの生涯と画風

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年〜1919年)は、フランスの印象派を代表する巨匠の一人です。モネが光を追求したのに対し、ルノワールは人物、特に女性を描くことに情熱を注ぎました。彼の絵画は触りたくなるような胸やお尻を描くことで知られ、エロティックな要素も持ち合わせています。

印象派の画家たちがブルジョワ階級の出身である一方で、ルノワールは貧しい労働者階級の出身でした。そのためか、彼の絵画は楽しく幸せな気持ちになる作品が多いです。印象派のスタイルを探求する中でスランプに陥ったルノワールは、新古典主義の巨匠アングルに倣った冷たい感じの作風へと一時的に変わりましたが、最終的には印象派に近いスタイルに戻りました。彼は「風景ならばその中を散歩したくなるような絵、裸婦ならばその胸や腰を愛撫したくなるような絵」を好んで描き、見る人を幸せにする絵を追求しました。

ルノワールの代表作

『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 1876年に描かれたこの作品(油彩、131×175cm、オルセー美術館所蔵)は、ルノワールの代表作であり、彼の楽しい世界観が詰まった作品です。パリのキャバレー「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」で楽しむ人々を描き、その中にはルノワールの友人たちも登場しています。鑑賞者の視点が次々と移動する構図で、観る者を画中の楽しい世界へと誘います。

『舟遊びをする人々の昼食』 この作品(1876年、油彩、129.9×172.7cm、フィリップス・コレクション所蔵)は、楽しいひとときを過ごす人々を描いたルノワールの代表作の一つです。

『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』 1880年に描かれたこの作品(油彩、65×54cm、ビュールレ・コレクション所蔵)は、印象派の肖像画の中でも最も有名で美しいとされます。顔は伝統的な技法で描かれており、ルノワールの絵画の特徴である楽しさと幸せが溢れる作品です。この作品は当時の上流階級の人々にも人気でした。

『座るジョルジェット・シャルパンティエ嬢』 1876年に描かれたこの作品(油彩、97.8×70.8cm、アーティゾン美術館所蔵)は、ルノワールの肖像画の代表作の一つです。

『大水浴図』 1884年から1887年にかけて描かれたこの作品(油彩、115×170cm、フィラデルフィア美術館所蔵)は、ルノワールが印象派としてのスランプ時期に、新古典主義風の作風で制作した集大成の作品です。

 

エドガー・ドガ

エドガー・ドガの生涯と特徴

エドガー・ドガ(1834年〜1917年)は、フランスの印象派を代表する画家であり、特に「踊り子」の絵で有名です。ドガは当初、新古典主義の巨匠アングルの影響を強く受けていましたが、エドゥアール・マネとの出会いによって印象派に転向しました。

ドガの作品の特徴は、踊り子が練習する場面や庶民の日常の一瞬を切り取ることにあります。印象派の一員でありながらも、アングルの影響を強く受けたドガは、デッサンや「線」の重要性を重視し続けました。風景画はほとんど描かず、主に室内の光景を描きました。気難しく皮肉屋だったドガは友人も少なく、生涯独身で孤独のうちに亡くなりました。

ドガの代表作

『エトワール』 1876年に描かれたこの作品(パステル、58×42cm、オルセー美術館所蔵)は、ドガの代表作の一つで、「踊り子の画家」としての彼にふさわしい作品です。ドガは舞台よりも控え室や練習風景を多く描いていましたが、本作は本番のバレエで花形(エトワール)が踊る一瞬を捉えています。

 

カミーユ・ピサロ

カミーユ・ピサロの生涯と影響

カミーユ・ピサロ(1830年〜1903年)は、フランスの印象派および新印象派の画家であり、印象派のまとめ役として重要な存在でした。彼の作風は時代とともに変化し、20代の頃はカミーユ・コローの風景画に倣った作品を制作していました。パリでクロード・モネらに出会った後は印象派に加わり、印象派のリーダー的存在となりました。その後、点描技法のジョルジュ・スーラと出会い、新印象派としても活動しました。

ピサロの代表作

『セント・トーマス島の海岸で話をする2人の女』 1856年に描かれたこの作品(油彩、27.7×41cm、ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)は、ピサロがバルビゾン派に傾倒していた時期のものです。彼はバルビゾン派の一員ではありませんが、カミーユ・コローらに強く影響を受けていました。

『カフェ・オ・レを飲む若い農婦』 1881年に制作されたこの作品(油彩、65.3×54.8cm、シカゴ美術館所蔵)は、ピサロが印象派時代に第7回印象派展に出品した作品です。農婦を描いたこの作品は、印象派の特徴をよく表しています。

『テアトル・フランセ広場とオペラ大通り、陽光、冬の朝』 1898年に描かれたこの作品(油彩、73×92cm、ランス美術館所蔵)は、ピサロ晩年の作であり、スーラの点描技法に強く影響を受けたことがわかる作品です。

 

 

印象派についての感想まとめ

印象派は、19世紀後半のフランスで誕生し、美術の歴史に大きな変革をもたらした芸術運動です。その特徴は、光と色彩の瞬間的な印象を捉えることにあり、従来のアカデミズム美術とは一線を画すものでした。印象派の画家たちは、光の変化や自然の移ろいを追求し、風景や日常の一瞬を鮮やかな色彩と大胆な筆遣いで表現しました。

印象派の魅力は、なんと言ってもその色彩の美しさと、光を捉える技術にあります。例えば、クロード・モネの「睡蓮」シリーズでは、同じ風景が時間や季節の変化によって異なる表情を見せる様子が巧みに描かれています。これらの作品は、観る者にまるでその場にいるかのような臨場感を与えます。

また、ピエール=オーギュスト・ルノワールの人物画や、エドガー・ドガの踊り子の絵などは、日常の一瞬を切り取り、その瞬間に宿る美しさを見事に表現しています。ルノワールの作品は、見る者に幸せや楽しさを感じさせ、ドガの作品は動きの一瞬を鋭く捉えることで、動的な美しさを伝えます。

印象派の画家たちは、当初は伝統的な画壇から批判を受けましたが、その革新的なアプローチはやがて多くの支持を集め、後の美術に大きな影響を与えました。カミーユ・ピサロは、印象派のまとめ役として、また新印象派への橋渡しとして、画風の変遷とともにその多彩な才能を発揮しました。

印象派の作品は、現代においても多くの人々に愛され続けています。その理由は、彼らが追求した瞬間の美しさや、日常の中に見出される驚きと感動が、今なお私たちの心に響くからです。印象派は、美術の歴史において永遠に輝き続ける宝物です。

 

 

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