ピカソの隠された真実:あまり知られていない10の驚くべき秘密

パブロ・ピカソは世界で最も認知されている芸術家の一人として知られており、その革新的なスタイルに魅了される人々が後を絶ちません。彼はしばしば天才とみなされています。

本日は、そのような名画家ピカソの、一般的に知られている事実から意外な情報まで、10の興味深いトリビアをお届けします。

 

目次

ピカソの知られざるエピソード・雑学

長すぎるフルネーム

パブロ・ピカソは、その非常に長いフルネームで知られています。彼の正式な名前は「パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ」といい、これは彼の家族の聖人や親戚の名前が含まれているためこのように長くなっています。一般に「ピカソ」として知られる名前は、実は彼の母方の姓に由来しています。

死産とされた誕生

ピカソの誕生は極めて困難で、生まれた際には助産婦によって死産とされました。非常に弱々しい状態のピカソは、一時的に放置されたそうです。しかし、医師でもあった彼の叔父、ドン・サルバドールによって救われることになります。彼は葉巻の煙をピカソの顔に吹きかけたところ、反応が見られたため、命があることが確認されました。

芸術への最初の一歩

ピカソが最初に口にした言葉は「えんぴつ」で、スペイン語では「lápiz」、彼が発したのはその短縮形の「piz」でした。この事実は、彼が生まれながらにして画家になる運命であったことを示唆しています。彼の父、ルイスも芸術家であり、ピカソが7歳の時から本格的な芸術教育を始めました。13歳の時には既に父を超える才能を示し、父は画を描くことを諦めたと言われています。

初期の傑作は9歳の作品

ピカソの初めての作品「Le Picador」は、彼がわずか9歳で描き上げたものです。これは闘牛場で馬に乗る男性を描いた作品で、彼の非凡な才能がすでに現れていました。また、15歳で完成させた「La première communion」では、祭壇の前にひざまずく妹を描いており、彼の技術の成熟が感じられます。

 

不適応な学生だったピカソ

パブロ・ピカソは芸術的才能に溢れていたものの、彼の学生生活は決して平穏なものではありませんでした。ピカソは指導を受けることに抵抗感を持ち、その結果、教師からの処罰を頻繁に受けていました。彼は「問題児として、壁が真っ白な処罰室に送られることが多かった。しかし、そこでスケッチブックを取り出し、何時間も絵を描くのが楽しみだった」と語っています。このような環境でも、彼の創造的な情熱は衰えることがありませんでした。

パリでの初仕事

ピカソのキャリアにおける最初の重要な契約は、画商ペレ・メナッハ氏とのもので、彼にとっての初収入は月に150フラン(現代の約75,000円)でした。この契約が、後の彼の芸術活動への大きな一歩となりました。

モナリザ盗難事件との関連

1911年にルーヴル美術館からモナリザが盗まれた際、ピカソの友人で詩人のギョーム・アポリネールが疑われ、彼がピカソを犯人として挙げたことで、ピカソも逮捕されました。しかし、事件には無関係だった彼らは一週間後に釈放されました。

キュビスムの命名

キュビスムは1909年にピカソとジョルジュ・ブラックによって創始されましたが、この芸術運動の名前はフランスの批評家ルイ・ボークセルによって名付けられました。彼は作品を見て「これは立方体(キューブ)以外の何者でもない」と批評し、そこからキュビスムという名が生まれました。

プレイボーイだったピカソ

ピカソはその魅力と名声により、数多くの女性との恋愛関係を持ちました。彼の著名なパートナーにはフェルナンデ・オリヴィエ、マルセル・アンベール(エヴァ)、ギャビー・レスピナッセ、オルガ・コクローヴァ(最初の妻)、マリー・テレーズ・ワルテル、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、ジェネヴィーヴ・ラポルテ、そしてジャクリーヌ・ロック(2番目の妻)がいます。ピカソの関係者の中には、彼の死後に自ら命を絶つ者もいました。

史上最も多作な画家

ピカソは油絵、素描、版画、挿絵を含む合計約13,500点の作品を残し、ギネスブックにも名を連ねています。2004年にサザビーズのオークションで彼の「パイプを持つ少年」が1億400万ドルで落札され、これは当時の為替レートで約118億円に相当し、史上最高額を記録しました。

 

まとめ

パブロ・ピカソは、20世紀を代表する画家であり、キュビスムの創始者の一人としても知られています。彼の生涯や作品は、芸術のみならず文化全般においても深い影響を与え続けています。

ピカソの作品はその革新性において際立っており、彼が芸術界にもたらした変革は計り知れません。彼のアプローチは、伝統的な美術の概念を根底から覆し、視覚芸術における表現の可能性を大幅に拡張しました。特にキュビスムにおいては、物体を幾何学的な形に分解し再構成する手法で、見る者の視点と認識の仕方を変えることに成功しました。

また、ピカソの生涯を通じての多作ぶりは驚異的で、彼の芸術的探求は終生衰えることがありませんでした。彼の作品は、絵画だけでなく彫刻、版画、陶芸など多岐にわたり、その創造的な幅の広さを示しています。

しかし、ピカソの私生活は複雑で、多くの女性との浮名を流し、いくつかの破綻した関係を経験しています。これらの個人的な関係は、しばしば彼の作品に影響を与え、感情的な深みや緊張を作品にもたらしています。

ピカソの死後も、彼の作品は芸術市場において高い評価を保ち続けており、彼の作品は今日でも高額で取引されています。ピカソはその生涯と作品を通じて、不朽の名声を確立しましたが、それは彼が芸術に対する情熱と絶え間ない探求心を持ち続けた結果であると言えるでしょう。

ピカソについての感想をまとめると、彼は疑いなく芸術史上最も影響力のある人物の一人であり、その創作活動と個人的な生活の両方が、世界中の多くの人々にとって刺激的かつ教訓的なものであると言えます。

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